Tue, 25, Dec, 2001 曇りのち雪? [長年日記]
_ まだ、あれも出来る、これも出来る
下の子が産まれて、1ヶ月と10日め、配偶者が腰の小さな骨を折った。2歳8ヶ月の長男、1ヶ月になった長女、そして、動けない配偶者。頑固な人だから、入院はいやと我侭を言う。3人の世話をしてその時は何とか持ちこたえたが、7ヶ月ほどたったある日、わたしの中で、何かがプッツーンと切れた。
その時から、頭では命令しているのに、体が、ナマケモノみたいな動作しか出来ない。外では緊張するのか、普通に出来るんだけれど、家では普通じゃない。でも、負けてたまるか、子どもを育てなきゃ、神様から授かった子ども達なんだから、と頑張った。
そのうち、右半分が頭のてっぺんから、爪先までしびれてきた。顔は時々ピクピクけいれんし始めた。色んな医者にかかった。何処へ行ったら良いか分からないので、とほうにくれてしまった。子ども達がお世話になっている小児科の先生がうつ病だと思うから、精神病院に行って、診てもらうようにと教えてくださった。
ちょうど、母が精神病院に勤務していたので、神戸までエッチラオッチラと2人を連れて診てもらいにいった。院長先生から、うつ病ではないと太鼓判を押して頂いて安心して帰って来たが、はて、本当の病名はなんなんだろう?
それから10年ほどして、ひょんなことから、整骨院に行ってみた。これがあってることが分かったのは偶然なんだけれど、症状が軽くなっていくではないか。でも、治療費が大変。ほかを倹約してそれにあてた。
どれくらい良くなったかと言うと、運転免許を取ろうという気になったぐらい。それまでは、頭に霞みがかかったようで、目も開けているのが辛くて、寝たり起きたりの生活だったので、ウソみたいな回復ぶりなわけ。
そんな時にまた配偶者が、膝関節の十字靭帯を切ってしまって、こんどは入院。3〜4ヶ月ほど入院して、一旦家で3ヶ月ほで療養して、また入院。その間、免許を取ったおかげで、不便なところにある病院へ、毎日送り迎えしたり、入院中は毎日見舞い(何故?・・・妻は来て当然と思っていたみたい)に行けた。
さて、わたしの頭は出来が悪いのか、割れるように痛いのがどうしても止まらない。その先生の治療にも限界があり、頭が痛いのがどうしても取れない。そこで、一つ手前の駅前にある、今通っているカイロプラクティックをさがしあてた。これが当たり〜!でも、今のように落ち着くまで7年かかった。
25年以上の間に、子ども達は曲がらずに育ってくれたし、運転免許は取れたし、PTAの役員はやれたし、パンを焼いたり、ピザを作ったり、いろんなことができた。
ホント、あれもやれた、これもやれた、感謝、かんしゃ。神様有り難う御座いま〜す。
_ 偉そうな事
書いているが、あれも、これも、出来なくなったとぼやいていた時期があった。そんな時、周ってくる聖書の人が、いいことを教えてくれた。「出来なくなった事をなげくのではなくて、まだ、これもできる、あれも出来る、と、出来る事をすると良いんですよ」と。
そうなんだ、まだ出来る事が沢山あるじゃないの。あれもできる、これもできると自分に言い聞かせながらやろう。それからは、くじけることはあったけれども、結構前向きに生きてこれた。
_ よかった、よかった
素直な人は素晴らしい。わたしも素直にならなくっちゃ。
ずーとある事で悩んでいる。こればかりは、天地がひっくり返らなきゃ、解決しない。と、思い込んでいるのかもしれない。素直にな〜〜〜れ、ブチャ猫。
_ 寒い
暖房をつけっぱなしなのに、なんだか寒い。雨がパラパラしてるんだけれど、予報通り雪になるかもしれない。この寒い中を、火曜日の安売りに、せっせと出かけて行く我配偶者。感心してしまう。それこそ、雨が降ろうが槍が降ろうが、目的に向かってまっしぐら。まるで、いのししみたい。
_ その配偶者が
「先ほどは、失礼しました」と謝ってくれた。バンザイ!少しずつ、一緒に住んでいる事を自覚してくれているんだわ。もっと歳を取って二人っきりになった時、お互いに思いやりを示して生活しないと、住んでる意味がないからねぇ。
一歩前進できたんだ。これからは、わたしの意見を、謙遜さを示しながら話せるように努力していくことに決めた。
そうですね!!ホントだ!!出来ることいっぱいあるんだから、それを大切にしなくちゃ・・・。(^▽^;)今から、「今年のよかったこと」かいてみます!(*^_^*)